『今や恵みの時、今こそ救いの日。』(Ⅱコリント5/20~6/2)
四旬節も半ばを過ぎました。この40日間はキリストの復活を祝うまでの期間で教会の典礼では種々の準備があります。
教会のカテキスタとして雪国に勤務していた頃、四旬節のはじめ、「灰の水曜日」の典礼の為に、先ず灰を作る作業があります。前年の枝の主日にミサの中でいただいた枝を集め、これを燃やして灰にするのですが、外は雪の為ガレージですると警報機が作動、慌てて庭の雪の中で・・・湿って黒煙は隣接する幼稚園にモクモク・・園児たちが興味津々・・聞かれて返答に困る私。仕方なく「神様に早く春にしてくださいとお願いしているの」(当たらずとも遠からず)と言い逃れました。黒い湿った灰を土鍋に入れて、ゆっくり木べらで混ぜていくと徐々に真白い灰になっていきます。(これはイタリア人老司祭の教えです)。混ぜながら何故か人間の最後を想い・・恐ろしくもあり、また深遠な神の計らいを感じ複雑な思いがします。以前、灰の式では「塵から生まれ、塵に帰れ」と信者の額にしるしたので、灰をもって肉体の滅びを直接に感じることができましたが、今は「回心して福音を信じなさい」という言葉に変わり、四旬節の大斎・小斎もなぜか忘れられたように感じるのは年寄りの嘆きでしょうか。
四旬節には、各教会で十字架の道行きの祈りが行われます。イエスが私たちの重荷と苦しみを背負って歩かれる道行、各留のそれぞれの祈りの言葉が胸に響きます。人類の罪を担われて私達を神の高みへと導かれる愛を深く感じます。この季節、祈りと節制そしてなにより愛の実行に務め、主の復活を喜びのうちに迎えることができますよう、冒頭のパウロの言葉を心に思いめぐらします。
「私たちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら{恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に私はあなたをたすけた}と神はいっておられるからです。」 (T.Y)(T.Y)