日常の中で、神の恵みに気付く ~わたしの体験~(児童養護施設職員)
慌ただしい日常の中でも、絶えず注がれるイエスの私へのいつくしみのまなざしに自分の目を合わせようとするなら、その時、神の恵みに気付くことができます。
”イエスよ、わたしを思い出してください。わたしはあなたのまなざしに気付きたい。いつもあなたの目を見つめる者となりたいのです。けれども、それができません。わたしはみじめな者です。だからこそ、イエスよ、私を思い出してください!あなたは私の中心におられるからです。まことにみ国におられるからです。”
ある時、イエスのまなざしに目を合わせようと意識していると、識別を必要とする重要な仕事の案件が、突然わたしの前に音もなく、けれど、はっきりと立ち上がってきました。「無理です。わたしにはできません。」とっさに断った件でしたが、識別が容易になり、「はい、引き受けます。」ときっぱり上司に伝える勇気を得ました。
”さまざまな事情で親と暮らせない子どもたちのために、一番よい機関が作られますように。そこで働くにふさわしい人材をお送りください。担うべき役割を引き受けるために必要な恵みをあなたがわたしにお与えくださると、わたしは信じています。”
イエスのまなざしに目を合わせようとする時、思い通りにいかなかった出来事が実は私が成長するための出来事であることに気づいたり、心地よく響かない他者からの助言を受け入れて、自分のしたいやり方を手放せるようになります。イエスへの感謝の質が変えられていくのです。
”好ましく受け取れることだけでなく、受け取りを避けたいと思う出来事や状況の中にあっても、イエスよ、あなたに感謝を捧げることができますように。
小さき者の喜びの泉聖マリア、わたしのために祈ってください!”(A.I)