創立者ゲマインダ師との思い出
9月5日、創立者ゲオルグ・ゲマインダ神父様の命日に当たって、少しばかりその思い出を辿ってみたいと思います。
ゲマインダ神父父様が本会を創立されたのは「神様に自分を奉献し、世の中で人々とともに生活して、世を内から福音化しようとする女子の在俗会が日本の教会に必要である」というお考えで1948年聖母カテキスタ学院を、1954年聖母カテキスタ会を設立され、会員の多くはこのカテキスタ学院で神学、聖書、教会史などを学び、会員としての養成を受けました。その間、師は “霊父として“大いなる存在感”で私たちに道を示してくださいました。
今は無くなりましたが、長野県の治部坂高原の「山の家」では、毎年黙想会があり、このために集まってくる会員たちは祈りとともに、山道を切り開いて「アレルヤの丘」建設のための土木作業の労に汗をながしました。そこには大きな心と大きな体のゲマインダ師がいつもおられました。師は毎日の日課として山道を散策されていましたが、その後から雄鶏に従う、ひなのようにその散歩に付き従って歩いたことが懐かしく思い出されます。
アレルヤの丘で一服される神父様
ゲマインダ神父様は大好きだった「山の家」でこのような日々を過ごされ、85歳で神様の御許に召されました。心身共に会員の父であられたと同時に師は神言会の会員として、その役務と召命を果たされ、「愛の実行運動」の推進にも力を尽くされました。
最近、このような写真が見つかりました。日本語を子供から学んでいる様子の師の若かりし頃、祖国ドイツから日本への宣教に燃えて来日された師の姿です。
ある時、しみじみと、「若い時は神様がよく分かる気がしました。でも年をとると神様の事はますます分からなくなります」と話されたことがあります。
神様への深い愛、あくなき探求とその変遷が偲ばれる師のお言葉です。神父様の思い出は尽きません、年と共に記憶は薄れますが、神父様が私たち会員の心の中に生きておられることは確かです。