すべての人の救いを願い、私はあなたを待ち望む。(詩編86)
教会は今、四旬節(2月14日灰の水曜日~3月30日)を記念し、主イエスの受難と死をわが身に追体験しながら、自分を変える改心の時を過ごします。
今年は新年から能登半島地震、日航機事故、火災、政治の腐敗、戦争・・・・と大変なことが起こりました。過去の苦しみや痛みを処理できないままでも、なんとかこれから新たな出発に向かおうとする日に、なぜこんなに痛ましいことが起こったのか?・・・
私たちはそれでも・・・それでも前を向いて歩いていかなければなりません。
教皇フランシスコは四旬節について次のように警告されています。「私たちが自分の町や村を歩むときに出会う、退廃し困窮した状況に慣れてしまわないこと。ある種の態度を受動的に受け入れ、自分たちを取り巻く悲しむべき現実に驚かなる恐れがあります。私たちは想定内の日常のニュースであるかのように暴力に慣れてしまいます。しかるべき自由と尊厳をもてず、それを求める避難民に慣れています。神なしで行動できるかのように考える社会に生きることに慣れています。・・・・。四旬節は私たちにとって、航路を変え、・・・私たちが新しい目で兄弟とその必要とすることに目を向けることができるようにしてくれます。」(教皇フランシスコ講話集2)
能登半島地震についてはマスコミで毎日被害状況を知らせています。地震からから2か月が経った今、今後の生活再建に向けて立ち上がる人々、それを支えるボランティアや企業の方々の援助活動を知ることは、わたしたちの心の救いとなり、“私も今、自分にできることをしよう”と意志を啓発してくれます。
どうか神が私たちの四旬節の旅路を見守り、ともにいてくださいますように。(MF)